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ホーム五井昌久 - プロフィール : 五井先生の前半生

五井先生の前半生
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生い立ちと修業時代
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私は、大正5年11月22日に東京の浅草で生まれた。父親満二郎は越後長岡藩の武士の家柄に属し、母親きくは東京生まれの商人の娘であった。病弱の夫を支えながら、母親は髪結いや駄菓子屋をやって、2人の娘と6人の男児を育て上げた。上に三人の兄がおり、下には二人の弟がいた。
関東大震災で焼け出された私の一家は、急造のバラックに住んだ。小学校2年の時に越後の伯父に連れられて故郷入りして以来、毎年のように夏休みには越後の親類宅に寝泊まりした。定正院という裏山の寺で読経や木魚の音をよく聴いたもので、寺の庭で坐禅を組んだりもした。高等小学校1年を終わると、13歳で織物問屋T商店の店員なった。朝は4時に起き、日のあるうちは荷車を引き、夜は学校、読書などで、12時頃に就寝という日課であった。就寝時に「ヨガ式呼吸法を加味したような静座法」を続けたお陰で、心身ともに健康になってきた。18歳か19歳のはじめか、T商店を退めて独立し、五井商店を開業したが、主人兼小僧であった。正式に音楽の勉強を始め、歌人の仲間入りをしたのは、この頃からである。
昭和15年9月、三兄の紹介で、日立製作所の亀有工場に入社した。工場文化運動の推進を図る労務課の意向で、合唱指導や音楽放送を始め、終業後は短歌や演劇の会を主催したり、工場新聞を発行したりした。大東亜戦争突入と共に、工場内の文芸運動も従業員の士気を鼓舞する軍国文芸に変貌し、私は従業員に軍歌を教えながら、戦死者のみ魂に感謝し、少年少女工員の真剣な働きに涙していた。第一回空襲以来、工場指令を本部の放送室から放送する役目を担当し、全力を挙げて国のために働いているという気持ちが、心の明るさを支えていた。しかし、遂に敗戦を迎え、昭和20年8月15日の天皇の降伏放送となった。工場をやめることを決意し、最後の仕事として少年少女工を故郷に帰す手配をしている最中に以前患った腎臓の痛みが襲ってきて、40度近い高熱が続くが、10日ほどで全快し、漠然と新生を予感した。
私は心の中で新しい世界を探し求めていた。それは岡田茂吉氏の病気浄化説・霊線療法と谷口雅春氏の著作に対する関心となって現れた。霊線療法を実施しながら病気治しに歩き、かなりの治病効果があった。また、谷口氏の『生命の実相』全20巻を読了して、知らない別世界が如実に存在することを知った。両氏は共に霊界の存在を説き、魂の個性的存続を実証しようとしていた。
晩春のある日、私は岡田茂吉氏を訪問した折、宗教家というより実業家のようた印象を受け、敗戦直後の日本に救世主的確信をもって堂々と自己の主張を実行に移している一大企業家の存在に、日本人全体に対する希望を抱いた。しかし、病者を治す最高の秘訣は「無私の愛」にあると確信していたため、物質的報酬を受け入れることは難しかった。
昭和20年のある時、葛飾の中川土手の農家より病人治療の依頼があり、舟着場まできて土手を降りようとした瞬間、「お前のいのちは神がもらった、覚悟はよいか」と電撃のような天声がひびき渡り、一瞬の間隙もなく「はい」と心で答えた。しばらく眼を閉じたまま立ちすくんでいたが、眼を開けると太陽が白光さんさんと輝いていた。結核病の青年に手をかざすと、臍から膿が吹き出し、治療後に膿のついた指も洗わずに、私は用意してくれた昼食を頂いて家人を驚かせた。
また、ある日曜日、赤坂の生長の家本部で谷口氏の講話を聞く機会があり、その哲人的雰囲気に魅せられて、支部結成に奔走するようになった。「人間神の子、実相円満完全、人間の本来性には悪も悩みも病苦もない」と喝破する思想に深く共鳴したのである。
精神生活を追い求めた結果、収入の道を自ずから拒んでいた頃、母親から「人を助けているおまえが、弟に生活をみてもらわなければやってゆけない、というのはとてもおかしい気がするね」と言われ、病気治しの天業は、勤めの余暇にやることにした。職探しは困難であったが、友人Tの斡旋でC労働学園出版部員として勤務することになった。
仕事はC労働時報の編集であった。その職場は、「戦後の労働運動の全国的雰囲気を、真向から受けつけ、唯物的社会風潮を、ぎりぎり結着の形で否応なく見せつけられる場所」であった。「人間の実相には貧苦や争いはなく、人間の想念の影がそれらを創っているのだ」と説く私に、学園の唯物論はまるで相手にもせず、賃金闘争でストライキ反対を彼が叫ぶと、「神様はひっこんでいろ」と嘲笑と怒号が飛び交った。その職場で合唱指導を通して知り合ったのが、後に生涯の伴侶となるM嬢である。そのうち労働組合から赤旗の歌や革命歌の指導を頼まれるようになり、メーデーでは宮城広場への行進の先頭に立たされた。その行進の中で「民衆を動かす教えでなければ駄目だ」と痛感した。一方で人間は円満完全な神の子であると実相論を説きつつ、他方で人間の弱点に切り込む責め道具として心の法則を教える生長の家思想が、彼の心の中で揺らぎ始めていた。
ある日、谷口師の講話をM嬢に聞かせるが、「高邁すぎて、こんな苦しい人生が良くなってゆくように思えない」という反応に腹立たしさを感じつつも、恋愛感情がよぎり、心の底から恥じた。祈っていると、「それでよいのだ、その人はおまえの妻だ」という無声の声が聞こえた。
生長の家地方講師を任ぜられて本部との接触も増えてくると、実相完全円満論と心の法則との間にはさまって、講師たちもちぐはぐな状態にあることが分かった。
昭和23年1月半ばより、知人の紹介でC会の交霊会に出席するようになった。心霊科学協会主催の実験会で霊界の存在は既に認識していたが、もっと高級神霊の出現を望んでいた。H霊媒による扶糺(フーチ) ーー 神霊から「百知は一真実行に及ばず」という言葉をもらった ーー や、神界のO仙人の指導による交霊会の体験を契機に、両手の霊動を利して霊界と交流することを思い立ち、自動書記が始まった。そして遂に、親友渡辺貞男の筆蹟で文字が半紙の上に書かれ、ニューギニアで戦死した弟五郎の絵や文字が現れたのである。知人やM嬢は、狂人になってしまうからと忠告したが、本格的に霊能者としての修業をする状態に追い込まれ、色々な不思議が続出した。
ある日、Y氏宅の床の間にあった6体の仏像の中から青銅の観音像をもらい受けて、自宅の床の間においた。その観音像はよ明観音という彼の役目を象徴して造られた像とのことであった。その翌日から、「生と死と、真と狂との実に苦しい試練」に入って行った。


想念停止と神我一体の体験
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私の体は既に自分のものではなかった。だが、体を使っている霊団の正体は掴めていなかった。背後霊の指示に従って、修業が本格的に始まった。
第一の指示は、「頭脳を去来する日々の想念のすべてを停止せよ」というものであった。まず家を出るが、どこへ行くのか聞こうと思うことが既にいけない。ふと思うと、すぐ後にひきかえせという。そのとおりにひきかえすと、また前に進めという。前へ進めばすぐ突き当りになって右か左に曲らなければならない。どちらに曲るだろうと思うと、また元へひきかえせという。眼を中空に向けたまま、彼は湧きあがる想念をもてあましながら歩く。行っては帰り、帰っては行く。哀しむ隙も憂うる隙もない。
何度もやり直して、やっと駅につく。さて切符を買うのか買わぬのか、こう思うのもいけない。何度びか失敗したあげく、咄嗟に金町という言葉が口をついた。電車に乗ると、金町を乗り越して松戸?上野間を数回往復し、霊側は執拗に彼の想念を監視した。
夕方ようやく解放されて帰宅したが、何も想えない苦しさの中で瞑想をして僅かに眠った。その翌日もその次の日も想念停止の練習が続き、絶食の日が続いた。背後霊の指導で、彼は東西南北を駆けまわり、行った先々の家々を浄めて歩いた。空の彼方に本体が厳然として存在するのだが、そこに達するに未だしの自分があり、しかも意識はもはや肉体にはない。後に私は、想念停止の練習が「現象我と実相我との一体化」のために私の守護神が背後霊団に命じてやらせていたことを知る。
こうした試練は続き、霊側から様々た問答をしかけてきた。
「人間とは何か? 」「神の分霊です」
「神とは何か? 」「宇宙に遍満する大生命であり、生命原理でもあります」
「大生命とは一体何か?」「在りて在るもの、すべてのすべてです」
「人間はなんのためにこの肉体として生まれているのか?」「神様の創造原理をこの地上界に実現するためです」
「おまえは今のような答をどこから考え出して答えているのか?」
この問題は、即座に答えなければ、頭をぐいぐいしめつけられる。頭をぐいっとしめつけられたとたんに、
「私の本体からです」と答えた。
「本体とは宇宙神か?」「宇宙神でもあり、私の真我でもあります」
「おまえの肉体は一体何か?」「真我の器であります」
「おまえの個我はどこにある?」「幽体と肉体にあります」
「個我とは神か?」「神をうちに含んだ因縁生です」「するとおまえは因縁生か?」「因縁生をやや離れかかっている神の分霊です」‥‥‥
霊側の問いはさらに続き、「人間世界の苦しみを救うにはどうすればよいのか?」「人間の本体を知らせ、神の理念を知らせることです」
「どうして知らせるのか?」この問いに、私は「真理の書物」を普及させることと、自分の本体から宣言するような「祈り」を通してと答えた。
「そんなことをしているうちに、戦争や天変地異でこの地球が滅びてしまったら一体どうする?」「地球が滅びたとしても私たちのように本体の神性を知っている者や、知ろうとしている者にとっては、たいした問題ではありません。しかし、神は大愛なのですから、多くの人類にそのような強い恐怖を与えることなく、お救い下さることを私は信じております」
この日を最後に、霊界側の指図は再び私の肉体に干渉することはなかった。「想念停止」(空観)は成功したのである。私はものを想わなくなった。しかし、必要があれば語り、用に応じて手足を動かすこともできた。過去世からの想念の全てを天に還えしてしまい、「天と地の間にただすっきり澄み徹った私」がいた。
その翌晩、就寝前の瞑想に入ったとたん、吸う息がなくなり、吐く息のみが続いた。すると眼前に水晶のような太い円柱が現われ、私は吐く息にのり、その太柱を伝わって上昇し始めた。灰色の雲の層、白雲や青雲の層など各光雲の層を通りすぎて、七つ目の金色に輝く霊界をぬけ出た時、光明燦然たる光の中に紫色の冠をかぶった自分がおり、あっと思う間もなく、意識はその中に合体した。そこは神界であり、様々な神々が去来し、美しい山河も龍宮城のような建物もある。四方八方に光の波が流れ、一個所に止まっていながら次々と情景が見える。天の自分に地の自分が合体したこの現実を、私の自意識は確認していた。「天とは人間の奥深い内部であり、神我とは内奥の無我の光そのものであることも」、その時はっきり認識した。
その翌朝の瞑想時に、釈迦牟尼世尊が忽然と現われ、如意宝珠のような金色の珠と榊のような葉を五枚貰い、その直後に、金色の十字架を背負ったイエス・キリストが私の体に入り、「汝は今日より自由自在なり、天命を完うすべし」という内奥の声が聞こえた。私は直覚的に全てを知りうる霊覚者となっていた。その日から表面は昔の自分に戻った。新しく誕生した私は肉体的頭脳で考えずに、自然法爾に言葉を語り、手足を動かす。真我の私が、肉体を器とし、場所として、過去の肉体的私の想念を適時適所につかい、人に相対し、真我(神)の知恵をもって相手の相談相手になり、真我の光によって相手を浄めているのである。

自叙伝『天と地をつなぐ者』より抜粋・要約