吾が師を鑽仰(さんこう)す 〜 五井先生のことども 〜

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五井先生が初めて、市川市へ来られたのは、昭和二十四年秋だったと思う。
生長の家の講師ではあるが、外の講師方とは大分違った先生で、奇蹟的なことをやり、先生に祈ってもらうと、病気が治ったり、運勢が好くなるというので、市川の生長の家の信徒達が、順番に、自分の家で講話をして頂きたい、私の家へ来てお祈りをしてもらいたいと、先生の来市を熱望して、引張凧との評判であり、その当時熱心な生長の家の信者であった私にも、是非お目にかかったらと市川誌友の幹部さん達から奨められた。
その当時私の物好きで、日蓮主義の祈祷や、現在のメシヤ教の前身である日本浄化療法や、その他何やかやで、研究して得た、生命磁気放射や、自然運動療法で、病人を癒すことを覚えたり、少しばかり生長の家の本を読み、谷口教祖の講習を受け、熱心に神想観などして、いささか真理が解ったと思い上りかけていた私は、多分霊媒か何かで、予言でもするのだろうくらいに思って、まあそのうちに一遍お逢いしてみようくらいに片付けていた。
それはその年の十一月二十二日、谷口先生の誕生日の記念講話があった時だったと思う。谷口先生の講話の済んだ後で、演芸会があるので、その舞台装置に骨を折っている、若い元気な、芸術家のような人柄の良い先生が、五井先生だと聞かされ注意して見ると、数多い少年や少女がなついていて、つきまとっている。良寛さんを若くして、現代に連れて来て、洋服を着せたらこんなかなあ、と思った途端に、何だか急に懐かしさが込み上げて来て、まるで旧知に遇ったように「五井先生ッ」と声をかけたら、先生は振り向いてニッコリされた。私は「ご苦労様でございます、ありがとうございます」とごあいさつして、あ、嬉しかったと、少年のように胸をときめかした。それが五井先生にお目にかかった最初であったが、恐らく先生は大勢の中だから、そんなこと覚えておられよう筈もなかったと思う。
早速市川誌友の方に頼んで、私の家で講演をして頂き、四十人位の人々ともども先生のお話を熱心に聴いた。お祈りもして頂いた。
その日の御帰りがけに、フト私の長女の妊娠している、まさ子を見て「一寸ここへいらっしゃいお祈りをしましょう」とおっしゃってお祈りをして下さった。何か変ったことがあるのだなあと思って後でまさ子に聞いたら「今日お医者さんへ行ったら、胎児が逆さ子になっているから一週間後に注射してみましょう」と言われたとのことであった。一週間後に医師のところへ行ったら「正常になっておりますから大丈夫です」との診断で、今更ながら、皆、先生のお力に驚いたり喜んだりした。
幸い私の家は相当の収容力があるのと、地の理がよいためか、先生の講話の場所に使って頂く度数が多くなったので、先生の教義がだんだんわかるにつれ、今まで生長の家の教えでよく判らなかった真理が、よくわかるようになって来た。
次の年二十五年六月には、先生が奥様をお迎えになることになったので、お二人きりの新居を構える必要が生じて来た。市川の信者は何とかして市川へ住んでいただきたいと熱望し、どうか私の家へ、どうか私の家へ、私の家の部屋へと申し出る人が沢山あったが、信者さんではお金を取ってくれないから、いやだとおっしゃる。そうなるとそうなかなか急に部屋は無い。奥様がお輿入れするという適当な部屋は見つからない。信者達は気が気でないのに、ご当人は平気なお顔をしておられる「ナーニ神様は人間に必要なものはご存知ですから、ちゃんと用意していて下さいますよ」と、気を揉む私等を却って気の毒がっておられたが、なるほどいよいよ当日になったら、思いもよらぬところから、是非使ってもらいたいという部屋が出て来て、権利金も丁度先生のお手許にあった金額で一ぱいという、私等が見ると実に不思議な決まり方で新居が定まった。
「必要に応じて必要なものが与えられる」ということは、安心立命の最も大切な要素であるが、このように五井先生は何かにつけて、身を以て現実的に見せて下さるのである。
信者は大喜び、何かというと先生の所へかけつける。また先生のことを聞き伝え、先生のお宅へ来てはご指導を受け、救われる人々が日増しに多くなって来た。その当時は午前中だけというのに、午後四時五時頃まで帰らぬ人もあった。その間先生は乞わるるままに夕刻から講話やらお祈りやらに方々へ出張された。その中には、大会社の運命を左右するようなご相談やら、方針指導もあったようである。
先生もまだ三十三歳、奥様も二十九歳、本来なれば新婚の夢園にして云々という、楽しい、嬉しい、二人きりの生活を楽しむところなれど、朝早くから夜遅くまで、人の出入りは絶えない。普通だと随分つまらないわけだけれど神様から頂いた奥様だから、実に似たもの夫婦の本領を発揮して、夫唱婦随の素直さ、日本女性の美徳の権化のようなお方で、ただ先生の愛行を陰ながらお手伝いして、内助の功を無意識の中にたてておられ、この方が最近まで、高等学校に英語の教鞭を執っておられたなどのご様子は、微塵も見えない。
その中に先生が「ここも二年位でしょうよ」とおっしゃっておられた通り、家の持主が他へこの家を売ることになったので、ご移転の気運となった。
東京には家を提供して、こちらへ来ていただきたいという信者さんが数名あり、中にはこの際、宗教法人にして、教祖になられご発展なさっては、とすすめる人もある。市川の信者たちはもう今では、市川の先生だから何としてでも市川に止まっていただきたいとお願いする。私は何とかして私の家(松雲閣)へと心願していたが、商売が商売だからと遠慮して外を探したりした。ところが先生は逆に、商売が料理屋だから、とかく変に堅苦しく思われ勝ちな神様ごとをやる先生がいて、万一商売の邪魔になっては気の毒だと思っていて下さったと、後で判った時、こんなささいな事にも先生は、気を遣って下さったのか、何というありがたいことだろうと、先生の愛情の深さに、ただもう感激して胸がつまった。
松雲閣へとは私ばかりでなく、市川の信者さん達も念願していたことなので、神様もあわれと思召したか、最後の五分間に今の松雲閣へご移転が定まった。そこでよりより信者達も相談して、これを機会に会員組織にして、先生に金銭関係のご配慮をかけぬようにして「一人でも多くの人を救いたい」という御思召を、多勢の人々に伝えて、人助けをしようということになり、先生のご快諾を得て、五井先生鑽仰(さんこう)会が十一月一日発足した。
五井先生も奥様も、実に金銭に恬淡な方で側から見て、もう少々くらい欲があってもよさそうなものだと思われるくらいで、或る場合余りに馬鹿々々しくさえ考えられるほどである。少し余裕が出来たかなと思うと誰かに貸してしまう。勿論そう返えす人は滅多に無いから、お貸し下されになるわけである。酒も煙草も生れつき嫌い、別に好いお召物を着たいとは思わぬらしい。食物も余り沢山召上がらない。普通の人より少量で、まあ肉体を維持するに必要なだけというところ。折角招待されても宴会が一番つらいとおっしゃる。ただ折角だから相手の愛念を受けるというわけである。一番お好きなものは?とお伺いすると、人ですよ、私は独りではとてもおられませんとおっしゃる。
松雲閣で私達家族と起居されるようになってすでに一年半近くなった。おおよその人は一緒に住んで三、四ケ月も経つと、何か欠点が見えて来て、たまには密かに愚痴の一つも出るものであるが、先生御夫婦は一緒に居れば居る程、好さが増して来る。五井先生の性格を一口で言うと、愛である。愛そのものである。よくある宗教家のように厳しくて近寄り難いかと想像する人もあろうが、無邪気で、明るくて時々下手な洒落などで皆んなを笑わせることなど度々ある。殊に謙遜なことは特別で、尊大振ったところは更に無く、普通の人より丁重である。 この方のどこに、人類の将来をト(ぼく)し、世界の状勢を通観し、東洋民族の結集を念願し、日本民族のために、世界人類のために、神そのままの大慈悲を出現さすべく、身命を賭して、愛を行じている人と見られようか。神命天にあり、かくの如き人格の人なればこそ、神が御使用になるのだと思われるのである。然り神はかくの如き人を必要として用意し給い現界に下して奉仕し給うのである。
この事は、先生のご指導ぶりを見ると、成程とうなづけるのである。
よくある例だが、或る人が事業不振の打開策を相談に来たとする。先生は、あなたは今がどん底であるが、辛棒して時期を待てば一年後には大変有力な協力者が出て来ることになっているから、その時また相談にいらっしゃい、というようなふうに指導する。果して一年後くらいに、その通り実現するので又御指導を受けに来る。この人一人だけのことならば、記憶していることが出来ようが、現在のところ毎日百人内外の人に会って、一々祈ったり指導しておられるのだから、そんな古い事を覚えておられるものでは無い。それにも拘わらずちゃんと前の続きのご返事が出て来る。人間業では出来ないことである。
病気の場合など医者の見たてがどうあろうと、これは治ると先生が請け合えば必ず癒る。大丈夫らしく見えていても、永い寿命でない患者に対しては、死後幽界で救われるようにお祈りすると共に、家人に知らせた方がよいとお思いになれば、本人には内分で家族に教えて用意をさせて下さる。
結婚問題にしても、名前を聞いただけで即座に相手の性格、実力、異性との関係の有無、合性のよしあし等を適当に指導される。但し人の迷惑になるようなことは、知っておられても言われぬ。
発明家に対して足らぬところを教えたり、鉱業家に鉱脈の有無を知らせたり、技術家に技術を、医学者に医術を説く等、超人的のご指導を断定的に平然としてされることは、神業というより外ないのである。
入学試験を受ける前の日に、ここを能く覚えて置きなさいと言われた学生さんが、当日そこが出たとて驚いて居た。
こんな事もあった。或る日古い信者さんが友人だというて、一人の憔悴した人を連れて来た。先生は冒頭に「あなた死んではいけませんよ」とおっしゃった。その人はサッと顔面が蒼白になった。連れて来た友人はビックリした。一体どうしたのだと聞いて見ると、事業の失敗でやり繰りがつかなくなり、しかも明日は、大恩を受けている店へ支払いのため渡してある手形が、銀行へ廻っているのに、どうにも支払う見込みが無く、義理合上死んで清算するより方法は無いと、覚悟していたところへ友人が生神様のような先生を紹介してやろうと言われたので、フラフラと来る気になって、連れて来られたとの述懐である。先生は断定的に、必ず明日うまく解決がつく、と安心を与えた。
明日いよいよ銀行の交換時間が来た。先生からああは言われたものの、先生とは一回お目にかかっただけで、先生の御指導の真価をまだ本当に知るよしもないから、半信半疑で、不安な気持は如何ともしがたく、あたかも断頭台に立つもののように、今不渡りの通知が来るか、今銀行から入金の催促が来るかとおそれていた。が何の音沙汰も無い。そんな筈は無いと思いながら、怖いもの見たさでそれとなく先方の店へ探りを入れると、ちゃんと手形が入金になっているという。こちらは勿論支払った覚えは無い。狐につままれたようで、ただただ不思議がっていると、銀行の係員が狼狽しながら飛んで来て、間違って銀行が代払いをした、大変な手落ちをした、何とか支払ってくれということになったが、今日すぐ払えるはずも無し、交渉の結果、銀行が一時貸越しの計算にして、六ケ月間に解決をつけた。何という奇蹟であろう。先生にこういうのはどういうわけでしょうとお伺いしたら「人間がよくよく行詰った時、善意で生命を投げ出して、神様委せにすれば、神様は必ず救って下さるのですよ」と神の愛を教えて下さった。
又こういう例もある。其方はある事業家だが、平素はおとなしいのに、大変酒癖が悪くて一旦酒を飲むと人が変ってしまい、家人を打つ蹴る、果ては奥さんの髪の毛を持って引きづり廻わす。親類縁者も匙を投げ、近所では付き合う人も無くなった。奥さんはもう死ぬよりしようが無いという時に、縁あって先生のところへ救いを求めに来られた。勿論本人は来る筈も無かったが、先生がその家へ訪問されたり、夫人を通じて主人の霊を浄めている中に、だんだん酒を飲まなくなった。家人はホッとする、この分では倒産するかと思われた事業も順調になって来たが、その中にお付き合いだとてお酒を飲んだら、わけがわからぬ大病となり、医師では治らぬので先生にお願いしてようやく回復した。それと同時に今度こそ飲酒が嫌いになった。これなどは病気を契機として、神の愛が現われたのだと先生は教えて下さった。
今まで述べたことは筆者が先生の傍に侍して、見聞した二、三の実例を挙げたに過ぎない。即ち事業には繁栄の方針を与え、家庭には光明生活、結婚には幸福の相手を、各人に適業を、病める人には健康をというふうに、転禍為福の実例は枚挙にいとまがない。すべてを一貫して、先生の教えは、神より来たれる、愛とゆるしである教義を伝えると同時に、身を以て行じ、実地に範を吾らに示し給うのである。愛とゆるしであるから、精神分析で、自己を責めたり、他を批判するようなことは、先生の最も好まないところである。聖者ぶった自己反省などは、お嫌いである。故に他の宗教のように、自覚の出来ない者にまで、自覚で病気を治せ、とは言われない。精神病の人や、霊の幼稚な人に自覚せよと言うても無理である。五井先生はそんな場合、お説教はぬきにして、だまって祈って自覚の出来るところまで連れて行って下さるのである。
例えば、たいていの人は自分の乗っている汽車が、レールから外れているのを知らないで汽車がちっとも進行しないと歎いているのであるが、五井先生はこれを知っておられて、だまって汽車をレールに乗せて下さる役目をしておられるのである。先生にご指導を受けた人が、その通り実行さえしていれば、皆救われるのである。常々先生は私らに、むづかしい理屈はいらない、ただ素直に、神の愛を信ぜよ、本当に神の愛が判れば、本当の感謝が湧く、そして愛行せずにおられなくなる、その結果として安心立命を得られるのだ、と教えられる。
即ち、信仰、感謝、愛行、この三つが調いて、この世にては地上天国に住み、あの世に往きては、極楽浄土に安住することが出来るとおおせられる。ただひたむきに愛行(即ち人の喜ぶこと)をせよ、愛なき庭に神はましまさず、と只管愛を説かれるのである。五井先生鑽仰会へ来る人は、たいてい最初何かなやみがあって、救われたのが縁となり、嬉しくなって何とか人に知らせて、助けてあげたいと、会へ来られぬ重病人とか、悪癖のある人とか、無信仰の人などの写真を持って来たり、人を連れて来る中に、先生の教えにふれ、不知不識愛行をする中に、ほとんどが時間の差こそあれ、まず順序として‥‥心配が無くなる。取り越し苦労をしなくなる。知らない中に慢性病が治る。病気に罹らない。悪い癖が出なくなる。元気が出て朗かになる。若くなる。人助けがしたくなる。必要に応じて必要なものが出て来る。物資が潤沢になる。‥‥というふうに、現実的に万事調って来て、知らず識らずのうちに、安心立命が得られるのである。こんなことを言うと、実情を見ない人達は何だか夢のような、理想をならべ立てているように思われるかも知れないが、これが現実だから本当にありがたいのである。
五井先生鑽仰会へ「こちらに能くあたる先生がおいでになるそうですが?」と、聞き伝えて来る人が沢山あるが、私は「先生は占者ではありませんよ、運直しをして下さる先生ですよ」と説明して上げるのである。なるほど、一寸類の無いほど当る、人によっては気味を悪がる程あたる。しかし悪いことがあたったとて、当りっぱなしでは困るのである。先生は悪いことは知っておられても、何もおっしゃらず、だまって浄めて、運を直して下さるのである。それを知らない人は、よくある行者とか、霊媒者と間違える人がある。成る程数ある宗教家とか行者とか称する者の中には、神仏の罰があたっているとか、祖先や死者の霊がたたっているとか、果ては動物霊がついているとか言うて、恐怖観念を与え、余計な費用をかけて、お祭りをさせる者とか、姓名が悪いとて改名させ、方位方角が悪いとて、方除けさせる等、とかく人に恐怖観念を抱かせる者があるが、こういうのを信じるのが迷信であって、五井先生の場合のような本当の信仰による、神と救い、と混同してはならないのである。
しかるに現代の科学は、主として物質本位の学問に根本を置いている関係上、唯物思想に多く傾ける観があり、前述の如きことを聞いた時、実情も見ないで、迷信だと片付ける人がいわゆるインテリ層に特に多いのは、歎かわしき次第である。
人命に一番関係深い医学にしても、なるほど大変進歩して、外科手術の如きは、長足の発達を遂げ、目覚ましきものあるは力強いことであるが、矢張り肉体を対象としての研究が多く、精神方面に関しては、やや遅れておるやの感がある。米国では最近、精神肉体医術が台頭して来て、相当の成績をおさめていると報じ、日本でも追々研究されていると聞くが、大体精神分析に根拠を持っているので、病気の原因を掴むのに、大変多い日数を要するとのことである。
それらの現状であるため、或る新興宗教では、自分の宗教により、病気が治るとて、知らず識らず現代医学に不足を感じ、その根本に誤謬ありとして、真っ向うから挑戦し、果てはその著書の一部に、「結核は医学が作るものであると言ったら、何人も驚倒してしまうであろう、事実それほど医学を信じ切っているのが現在の社会である」等と医学でなければ病気は癒らぬと思い込んでいる医学常識者に対してまで、警告を与え、かつ「見よ政府も専門家も年々巨額の国幣を費し、施設万端出来る限りの手段を尽くしつつあるに拘わらず、年々増加の傾向にさえあるのである」と、大いに憂慮している。
要するに現代の科学の未発見、未解決の点が、まだまだあるのであって、現代医学が病気を未然に防ぐこと等については、相当の域まで達しているが、絶対に病気に罹らぬというところまでは進んでいない。まして酒癖が悪いとか、不良児であるとか、手癖が悪いとかいうものは、注射や手術では、まだ治すことは出来ない。運を変えることなど、とても夢想だに出来ない。
それは精神が根本であって、肉体は枝葉である。即ち霊主体従であるから、すべては根本の霊界を是正することにより、現象界すべてのことが解決されるということに、早く気がついて研究してくれるようになってもらいたいと、五井先生は、常々希望しておられるのであって、特に、憑念作用に原因する難病の解決等については、迷信などと偏狭な見解を超越して、大いに研究し、人類に貢献することの一日も早からんことを希望しておられ、かつまた近き将来においてこの法則が、必ず科学づけられるであろうことを知って、それが実現を期待しておられるのである。
この三月十六日の読売新聞の宗教欄に、早大教授仁戸田六三郎氏は「科学の発達をよそ眼に、愚きもの的現象が跡をたたないことは、私はもっと深い謎が人間性にあるのでは無いかと思う」と述べられ、同時に作家里見氏は「人間以上の力を求めておるのは、そういうものを自然から享けて来たのが人間である」と何れも現代科学を超えた世界を、肯定しているのである。しかり、愛なる神は五井先生の如き、超人を用意し給いて、神癒のあることを知れ、人間の尊厳さを知れ、神の無限力吾等に宿れるを知れ、そして人間は幸福であり、健康であることを知れ、と絶叫されつつ我等の自覚を促し給うのである。
現代社会の常識人の中には、何でも奇蹟的のものを見たり聞いたりすると、迷信だと片付けて物識りぶりたがる人々がある。徳川時代未開の頃、平賀源内が蘭書で知った電気の学問を応用して、電気仕掛けの玩具や道具を作ったら、切支丹バテレンだと言うて大変怖がられたと謂う。今にしてみれば実に滑稽な咄(はなし)であるが、文化の発達目覚しき現代でも、このようなナンセンスが決して無いとは云えぬ。自分達の学問で割切れぬものは、何でも迷信なりと片付ける。未発見の世界に神秘を探り、神の悲願なる絶対愛を享受し、これを愛行に移して他に及ぼす事は、我等に課せられたる一大使命である。
五井先生鑽仰会は、五井先生の御指導により、これらを解決し、病無く、なやみない、幸福一元の生活を、吾等日常生活に実現させる研究団体である。
五井先生の常に念願されておらるることは、天才的な政治家、天才的な発明家、事業家、医術家、掘り出しである。そしてその人達に協力して上げて、人類の平和と発達に貢献してもらいたいことである。
先生の念願は、神の念願である。必ずや国家が必要とする時に、この人達が、この団体関係者から出づるであろうことを熱望しつつ擱筆する。
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昭和二十八年春
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