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ホーム個人・人類救済の方法 - 祈り : 祈りのQ&A (No.01/12)

世界平和の祈りQ&A
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Q. 世界平和の祈りの最中に雑念が出て困るのですが、これでもよいのでしょうか?
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それでよいのです。大体祈りというものは、肉体の自分がするのではないのです。祈ろうとする時は、もうすでに自分というものが、神仏の中に一体になっているのです。このことをまず信じなければなりません。
何故かといえば、自己というものは、本来神仏の中に本住の地があるのであって、真実の自我は、神仏の心であるのです。これが、宗教の根本なのであって、この真理をはずれては、宗教が成り立ちませんし、人間の救われはないのです。
この世の真実は、神仏だけが実在する世であるのですが、この真実がすっかり現われるまで、悪と見え、迷いと見え、不幸と見える姿が存在するように見えているのです。ところが、私たち肉体界に住みついた人間は、五感、六感という感覚の中に閉じこめられていて、五感(眼耳鼻舌身)、六感(五感に意を加える)の中で、すべてを感じて、幸、不幸と想っているのであります。
祈りは、この五感、六感の束縛の中から、自己を、神仏の世界、人間の本住の地に昇華させること、させることというより、することなのであります。自分の本住の地に還えることなのであります。
仏教では、このため、坐禅を組み、心を空にする練習を、たゆみなくやっているのです。
祈りの目的は、業想念から離れて、本心の世界、神仏の世界に、自我を帰一させるということにあるのです。
世界平和の祈りは、自分が神仏の世界に還えると同時に、逆に神仏の世界から、肉体人間の世界が平和であるようにと自己の肉体を通して、神仏の光明を、肉体世界に放射している、祈りなのであります。
ですから、世界平和の祈りをしようとした時、もうその人はすでに、光明の世界、神仏の世界に一歩足を踏み入れているのですから、そのまま、祈りをつづけていればよいのです。その時いくら雑念が湧きあがってきても、それは、業想念が消えてゆく姿なのですから、祈りには一向影響しません。
これでよいのかしら、と思う想いも、業想念の消えてゆく姿なのです。すべての想いは消えてゆく姿であって、真実の人間の心、祈りの心は、どんな雑念の中にあっても、光り輝いて、世界を照らしているのです。
たゆまず世界平和の祈りをしていれば、やがてその真理が確認出来てきます。私は自分がはっきり祈りの真実性を確認して、体験として説いているのですから疑わずつづけて下さい。すべての雑念は消えてゆく姿、祈りの効果を分別する想いも消えてゆく姿、そのことを一日も早く体認して下さい。