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ホーム個人・人類救済の方法 - 祈り : 祈りのQ&A (No.04/12)

世界平和の祈りQ&A
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Q. 一度祈ったら、世界平和の祈りはなりひびいているのだ、常に祈れ、ということですが、祈ることをしばしば忘れて、他のことを想ったりします。そういう時、神様と離れてしまっていたように感じるのです。祈り言を思っていなければ、析っているのではないような気がするのです。
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祈りというのは、いつも申しますように、いのちを宣(の)りだす、生命を自由に働かすということなので、口先きでぶつぶつ祈り言をいったり、頭で想っていたりすることだけではないのです。ですから人間が、何にも把われぬ空(くう)の境地になっていれば、殊更に祈り言をする必要もないのですが、空の心境などにはなかなか普通ではなれるものではありません。
そこで空になることを邪魔している、もろもろの想念を祈り言に託して、本源の世界、神のみ心の中に入れてしまい、空の境地から現われてくる本心の姿、神の子、仏子の姿を、この日常生活の中で現わそうとするわけなのです。
空の境地になるということは、どういうことかといいますと、この地上界におけるあらゆる業想念、自我欲望というものを、すっかり超えた、何もの何ごとにも把われぬ、全く神の子の本体を現わしている境地なのですから、やすやすとなれる心境ではありません。人間は常に、自己として現われている肉体生活の中に、神の分生命(わけいのち)そのままの心で、姿で、日常生活を送っていられればよいのですが、実際はそういう人はほとんどなく、大半の人々は神の分生命としての生命力や、本心の働きを、肉体生存のための業想念、自我欲望の想いで蔽ってしまっているのです。ですから、お互いの利害得失によって、どんな親しい人とでも、面白からぬ感情のやりとりになってしまったりするのです。
世界平和の祈りは、この空(くう)の境地と同じ効果を、一般大衆の人々に現わせしめる程の祈りなのです。
それはどういうわけかと申しますと、世界平和の祈りは、救世の大光明が肉体世界に直結して、輝きわたることのできる祈り言だからなのです。個人個人の祈りというのは、その個人の本心開顕のためのものであり、その個人の生命の自由なる働きのためのものであります。
生命の自由なる働きといいますのは、業想念の把われから解き放たれて、生命本来の働きが自由にできるようになったということです。業想念の中には、生老病死に対する苦悩の想いがあるわけで、こうした苦しい想いから解脱するために、神仏への祈願や、祈り言があるわけなのです。そして、そうした祈願や祈り言をしていると、その間だけでも、心の安らぎを得て、心が本然のさわりない働きができることになるのです。
人間の生命や本心は、なんやかやの想い煩いのない時に、一番本然の働きができやすいのであります。そこで、仏教の坐禅や、神道の鎮魂などという、本心顕現の方法が行われてきたのです。


想いの手をちょっと延ばす
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私の提唱し、実践している世界平和の祈りは、そうした個人の祈願と、世界人類の本然の姿の顕現のためとの両面を、同時に成就せしめるための祈りであります。
この祈り言は、普通個人の祈りのように、一心かけて、他の何事何ものをも忘れてやらなければ効果がない、というような祈りではなく、もうすでに肉体界に近々と、降りてきていて下さる救世の大光明に、ちょっと想いの手をのばせばよいだけの祈りなのです。
世界人類が平和でありますように、という祈り言によるスイッチをひねれば、その人は直ちに、救世の大光明の光のエレベーターに乗ったことになるので、あとはあまり想いわずらわないで、日常生活を当り前の姿でやっていればよいのです。そして思いわずらいの想念が出たら、またすかさず平和の祈りを心の中で唱えればよいのです。一度、世界平和の祈りを唱えた人は、もはや光のエレベーターに乗っているのですから、神様のみ心から離れようはないのです。ですから、そういう点は安心して、日常生活の面を生き生きと生活してゆけばよいのです。
世界平和の祈りは肉体人間のこちら側から、一心かけて祈ってゆく、という祈りとは違って、神様のほうから身近かに降りてきて下さっていて、その人々がちょっと祈りのスイッチを入れるのを待っていて下さり、一緒に祈っていて下さるのですから、気を楽にして祈ればよいのです。そして想い出したたびにまた祈ればよいのです。
あッ祈るのを忘れていた、と思いついた時祈っても、けっして遅かった、ということはないのです。それは何故かといいますと、この世界平和の祈りは、あなたが肉体の想いでやる以前から、あなたの守護霊があなたの代りに、すでに祈りつづけているからなのです。そして、あなたが祈り言を忘れている間でも、あなたの守護霊は、あなたに代ってやはり祈りつづけているのであります。
世界平和の祈りをあなたが唱えるようになったことは、過去世からの決り事で、あなたが、救世の大光明の働きの一つの場となる天命をもっていたからに他ならないので、あなたが、自分はだめだと思おうと、真剣になれないなあと思おうと、そんな想念とは関係なく、神様の光明は、あなたの体から輝き出るのです。
そして、やがては、あなたの肉体としての想念も、いつしか、本心や守護の神霊の心と等しい祈り心になってしまうのです。
ですから、何も思いわずらわずに、祈り言を想い出した時につづけて祈って下さい。思いわずらったら、その時こそ大事ですから、また祈って下さい。世界平和の祈りというのはそういったものなのです。